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京都地方裁判所 昭和59年(ワ)539号 判決 1987年5月15日

原告(反訴被告)

山田太郎こと

甲野太郎

原告(反訴被告)

山田花子こと

甲野花子

原告(反訴被告)

山田厚子こと

甲野厚子

右三名訴訟代理人弁護士

和田政純

被告(反訴原告)

乙野一郎

被告(反訴原告)

乙野佳代

被告(反訴原告)

乙野次郎

右三名訴訟代理人弁護士

長澤正範

主文

一  被告(反訴原告)乙野次郎は、原告(反訴被告)甲野太郎に対し、金二〇万円及びこれに対する昭和五九年三月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告(反訴原告)乙野次郎は、原告(反訴被告)甲野厚子に対し、金三〇万円及びこれに対する昭和五九年三月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告(反訴被告)甲野花子の請求並びに同甲野太郎及び同甲野厚子のその余の請求をいずれも棄却する。

四  原告(反訴被告)甲野花子は、被告(反訴原告)乙野一郎、同乙野佳代及び乙野次郎に対し、それぞれ、金一〇万円及びこれに対する昭和六〇年七月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

五  被告(反訴原告)らの原告(反訴被告)甲野花子に対するその余の請求並びに同甲野太郎及び同甲野厚子に対する請求をいずれも棄却する。

六  訴訟費用は、本訴反訴ともに、これを二一分し、その八を原告(反訴被告)甲野太郎の負担とし、その四を同甲野厚子の負担とし、その五を同甲野花子及び被告(反訴原告)乙野次郎の負担とし、その余を同乙野一郎及び同乙野佳代の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  本訴請求の趣旨

1  被告(反訴原告、以下、被告という。)らは、連帯して、原告(反訴被告、以下、原告という。)甲野太郎(以下、原告太郎という。)に対し金四〇〇万円、原告甲野花子(以下、原告花子という。)に対し金一〇〇万円、原告甲野厚子(以下、原告厚子という。)に対し金二〇〇万円、及びこれに対する昭和五九年三月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言

二  本訴請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

三  反訴請求の趣旨

1  原告らは、連帯して、被告乙野一郎、同乙野佳代及び同乙野次郎(以下、それぞれ、被告一郎、同佳代、及び同次郎という。)に対し、それぞれ金一〇〇万円及びこれに対する昭和六〇年七月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行宣言

四  反訴請求の趣旨に対する答弁

1  被告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  本訴請求原因

1  原告太郎と同花子は、法律上の夫婦であり、同厚子は両者間の三女である。被告一郎と同佳代は、法律上の夫婦であり、同次郎は両者間の子供である。

2  原告らは、昭和五五年六月頃、原告太郎の肩書地上の家屋(以下、原告宅という。)に居住していたものであるが、同月二三日午前二時頃、被告次郎は、不法にも原告宅の離れ四畳半の部屋に侵入し、室内を物色したが、それに気付いた、ベッドで就寝中の原告厚子に対し、口を塞ぐなどの暴行を加え、「泥棒」との同原告の大声に別棟から駆け付けた原告太郎に対し、その腕に噛み付き、又原告厚子の顔をひつかくなどの傷害を加え、更に騒動を聞き駆け付けた原告花子に対し傷害を加え、住居侵入、強盗傷人の犯罪を犯し、現行犯逮捕された(以下、これを、本件強盗事件という。)。

その後判明したところによれば、被告次郎は、昭和五四年夏頃から十数回にわたり原告宅へ侵入し、現金、骨董品などを盗んでいることが明らかとなつた。

3  原告らは、被告次郎の右不法行為により、以下の損害を蒙つた。

(一) 原告太郎の損害

(1) 昭和五五年六月二三日、被告次郎が同原告方へ侵入して室内を物色中、原告らに発見された際、格闘となつて破損された原告太郎所有の動産類にして別紙一覧表記載のもの。

金三〇〇万円

(2) 精神的慰藉料―原告太郎の家に被告次郎は、昭和五四年夏から十数回にわたり不法に侵入、現金、骨董品、ウイスキー、本、ドアの鍵などを盗んでいた。原告太郎は、その間、まさか盗賊が入つていたとは知らず、金品が紛失した都度子供達など家族の者を疑い、家庭内の不和を醸成する原因となつていた。又前記(1)の日時に、被告次郎と格闘した際、同被告から腕に噛み付かれ、翌日病院の治療を受けるも腕が紫色に腫れ上がり、血の滲んだ歯型が数日消えなかつた。一家の責任者として本件により受けた精神的打撃は計り知れない。

金一〇〇万円

(二) 原告花子の損害

本件強盗事件において、格闘になつた際、同原告も駆け付けたが、被告次郎より暴行を受け、又、長期にわたり家の金品が紛失したことにつき娘を疑つたりしたことによる一家の主婦としての精神的打撃は計り知れない。

金一〇〇万円

(三) 原告厚子の損害

同原告は、本件強盗事件当時、高校二年生であり、その際、家の離れの四畳半の部屋のベッドで寝ていたが、被告次郎に不法にも侵入され、飛び掛られて口を塞がれるなどして上から抑えられて行動の自由を制約され、首を締められるなどの暴行を受けた。又、その際、顔、首、腕に引つかき傷を受けた。その恐怖感は、その後数年にわたり消えることはなかつた。その精神的肉体的打撃は大きい。

金二〇〇万円

4  被告次郎は、本件強盗事件当時一七歳の未成年者であり、両親である被告一郎、同佳代と同居していて右犯行を行つたもので、明らかに両親に親権者として保護監督上の過失があり、被告次郎の右不法行為に対し法的責任があることは明らかである。

5  よつて、原告らは、不法行為による損害賠償請求権に基づき、被告らに対し、連帯して、原告太郎に対しては金四〇〇万円、原告花子に対しては金一〇〇万円、原告厚子に対しては金二〇〇万円、及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五九年三月二七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払うことを求める。

二  本訴請求原因に対する認否

1  本訴請求原因1の事実のうち、原告らの身分関係の詳細については知らない。被告らの身分関係は認める。

2  同2の事実のうち、被告次郎が、昭和五五年六月二三日午前二時頃原告宅に窃盗目的で侵入し、現行犯逮捕されたこと、その際原告太郎の腕に噛み付いたことは認め、原告花子及び同厚子に傷害を加えたことは否認する。また、被告次郎が、以前にも窃盗をしたことは認めるが、その内容は争う。その時期、回数、被害等は後述するとおりである。

3  同3の事実はすべて争う。主張されている原告太郎の物的損害は明らかに事実に反するものである。

4  同4の事実のうち、被告次郎が、当時一七歳であつたこと、被告らが同居していたことは認め、その余は争う。

三  被告らの主張及び抗弁

1  本件の事件の内容

(一) 被告次郎は、本件当時一七歳、高校三年生で、昭和五五年六月二三日午前二時頃隣家の原告宅に侵入し窃取しようとしているところを発見され現行犯逮捕された。この逮捕の際、同被告は逃れようとして同被告の体を押えつけていた原告太郎の腕に噛み付いたことがあるが、それ以外に暴行はなしていない。この時の実損害は、窃盗は未遂で損害は生じておらず、被告次郎が腕を噛み付いたことによる損害があるだけである。また、この際に器物が損壊されたことは全くない。

(二) 被告次郎は、この事件まで、勿論何ら前歴や非行歴もない気弱な少年であつたところ、勉学の疲れと好奇心から隣家の原告宅に夜中に侵入することを覚え、昭和五五年二月に初めて侵入し、その後一〇回位同宅に侵入してその際に小銭や小物を持ち出すことを行つた。そして、前記の日時に侵入したところ、家人に発見され逮捕されたものである。

この逮捕以前の分の侵入日及び各被害は次のとおりである。

(1) 昭和五五年二月 初めて侵入、窃取せず。

(2) 同年三月初旬 現金二万円

(3) 同月中旬 同一万円

(4) 同月下旬 雑誌FMフアン一冊

(5) 同年四月一日頃、書籍二冊(参考書一冊、辞典一冊)

(6) 同月一〇日頃 現金五〇〇〇円、ボールペン一本

(7) 同月下旬 現金三〇〇〇円

(8) 同年五月三日 同一万円

(9) 同月一六日 同六〇〇〇円

(10) 同月一八日 同三〇〇〇円、ウイスキー一本

(11) 同年六月八日 現金四五〇〇円

右被害合計―現金六万一五〇〇円、品物一万三〇八〇円相当

(三) 以上が被告次郎の窃取のすべてであり(以下、これを本件窃盗事件という。)、それによる実被害額は全部で七万四五八〇円(相当)である。これに関する原告らの主張は全く事実に反するものである。

(四) なお、被告次郎の右刑事事件については、前記昭和五五年六月二三日に現行犯逮捕され、同月二五日勾留に代る観護措置請求が(準抗告で)却下されて同日釈放となり、その後京都家庭裁判所に送致され同年一一月二八日審判で不処分となり終了している。

2  被害弁償

被告一郎、同佳代は、被告次郎が右のような事件を起こしたことに驚き、事件後数回原告宅に謝罪に行くとともに、昭和五五年六月二三日原告太郎の治療代として金一万円、同月二四日に被告次郎が窃取したのと同じウイスキー一本(原告太郎に対し)と参考書代五〇〇〇円(原告厚子に対し)、同月二八日原告厚子に対する弁償金一〇万円の被害弁償をした。

3  原告らの常軌を逸した嫌がらせ

(一) 被告次郎は自己の犯した所為を深く反省し、また被告一郎、同佳代は子供がそのような犯罪を行つたことを誠に申し訳なく思い、世間に恥入るとともに反省していた。

ところが、この被告らに対し、原告花子は以下に述べるような厳しい嫌がらせを執拗に繰り返したのである。この原告花子の悪質な嫌がらせは許される限度を明らかに越えたものであり、そして原告太郎、同厚子らは、原告花子の右常軌を逸した所為を黙認し、為すにまかせてきたのである。

(二) 原告花子の嫌がらせは事件直後から始まり、最近まで続けられてきた。本件事件直後の昭和五五年六月末頃から、原告花子は、被告宅前の通行人を、つかまえては誰かれとなく事件が報道されている新聞を示し、「少年Aはここの家の息子で次郎というんや。」と吹聴し、被告一郎、同佳代らが帰宅する姿を見つけると「泥棒のお父さん、お母さんお帰り」と大声で叫び、そして被告宅に向かつて「次郎君居るか、泥棒いるか。」と何時となく騒ぎたてることを繰り返すのであつた。

その様はあまりにも非常識であり、近所の人が見るに見かねて原告花子に注意すると、逆に「この町内は泥棒を飼つておくのか、泥棒に味方するのか」と食つてかかり、そのため見兼ねた人が派出所に願い出て同原告に注意してくれるように頼んでくれたが、同原告の右罵倒や嫌がらせは激しくなるばかりであつた。

そして、被告佳代は当時小学校の教員であつたところ、原告花子は同被告の勤務先の校長や教頭、同校育友会会長、更には京都市教委に「泥棒の母親を教師にしておくのか、辞めさせろ。」と執拗に架電し、新聞の切り抜きをコピーして学校の前でばら撒くと脅したり、また被告佳代が参加した教員研修会の会場にきてロビーにいる参加者をつかまえては新聞記事を見せ「この母親は教師でこの会場に来ている。」旨吹聴して回るのである。

被告一郎の勤務先会社にも原告花子は再三電話し、同被告の上司に「泥棒の親を雇うのか、辞めさせろ。」と言い、更に同社社長の自宅にまで架電して同様の所為を繰り返した。

被告次郎の在学していた高校に原告花子は行き、「ここの生徒が泥棒した、学校はどう考えているのだ。」旨申し向けることも行つた。

(三) このような原告花子の嫌がらせが事件以後延々と続き、昭和五五年中はもちろん、翌五六年になつても同様に続き、その後も断続的に繰り返されてきた。

この間に、被告次郎の兄(結婚して別居独立している。)宅に電話して怒鳴りつけたり、兄の妻の実家に電話して事件を暴露して困惑させたり、「泥棒が隣に居ると気持ちが悪い、お前の家で次郎を引き取れ。」と暴言を吐いてみたり、原告花子はまさに好き放題の嫌がらせを繰り返してきたのである。

昭和五八年になつても、原告花子は原告宅と被告宅の間に被告宅のトタン塀が設置されているのをとらえて、「こんな塀があるから次郎がそれに登つて侵入してくるのだ。」と言い勝手にトタン塀を切り取つて壊してみたり、被告一郎が入院中の病院にやつて来て、他の人の居る前で同被告に「あんたの息子は変態や、夜這いされたらかなん。」などと暴言を吐き、また、被告宅の前を通行する小学生らをつかまえて「ここの大学生は泥棒で屋根からおばさんの所へ盗みに入りよつたんや。」と言いふらし、「次郎君居るか、もう未成年やないのやから弁償しろ。」と叫ぶのである。

そして、被告次郎は昭和五八年四月で大学三年生であるところ、原告花子は「就職できんようにしたる。一生泥棒やと言い続けたる。」と広言してはばからない。

この執拗な罵倒、嫌がらせは民事調停手続中に続けられ、同年六月二〇日に原告らは本件訴訟に先立ち損害賠償請求調停を申立てたのであるが、その調停の最中にも「泥棒居るか、次郎君居るか。」と被告宅の前で叫び、「いよいよ泥棒と裁判するんや。」と近所に吹聴するという有様であり、被告らは調停委員を通じ原告花子をたしなめてもらつた程だつた。

(四) 被告らはこのような罵詈雑言、執拗な嫌がらせにずつと耐えてきた。

被告次郎は自らの過ちからとはいえ、当時まだ一七歳、高校三年生の少年であり、その年若き者にとつて原告花子のなした所為がいかに苦痛であり辛いものであつたかは言うまでもない。

また、被告一郎、佳代の苦しみも甚だしいものであつた。特に、小学校教員であつた被告佳代が受けた苦痛ははかりしれず、同被告は昭和五八年三月に退職したが、在職中地獄の毎日だつたと言う。

そして特に現在、被告次郎は大学四年生で就職活動を目前にしており、これに対し原告花子が妨害をしないかと被告らは強い不安を感じている。

原告花子の所為の行為は明らかに許される範囲を逸脱しており、被告らの名誉、人格を著しく傷つける不法行為である。

そして、このような原告側の非道な仕打ちを受けながら、そのうえ原告らに更に損害賠償を要するとは到底考えられない。原告らの本訴請求は棄却されるべきものであるし、仮にそうでないとしても、右の点は原告らの慰藉料を考慮する際に斟酌されるべきである。

四  被告らの主張及び抗弁に対する認否

1  被告らの主張及び抗弁1及び3の各事実は争う。

2  同2の事実は認める。

五  反訴請求の原因

1  被告次郎は、昭和五五年六月二三日に、本件強盗事件を起こして逮捕されたものであるが、同被告は自己の犯した所為を心から反省し、また被告一郎、同佳代も自分らの子供がそのような犯罪を行つたことを誠に申訳なく思い世間に恥入るとともに深く反省し、原告らに謝罪もした。

被告次郎は同年六月二五日釈放され、一方で事件の新聞報道も同被告が未成年であるので名前が伏せられていて、当時まだ少年であつた同被告が今後立直つていく上での配慮がなされていた。

2  ところが、原告花子は、事件直後の同月末頃から被告ら宅の近隣者、更には単なる通行人をつかまえては誰かれとなく、事件が報道されている新聞を示して、「この少年とはここの家の息子で次郎というんや。」と言い回り、また被告ら宅に向つて、「次郎君いるか、泥棒いるか。」と何時となく大声で騒ぎたてるのであつた。

そして被告一郎や同佳代が勤めから帰つてくると、路上で「泥棒のお父さん、お母さんお帰り。」と大声で叫ぶのである。

このため被告次郎の事件は近辺に知れ渡り、被告らは人々の好奇の目にさらされる日々を送らされることになつた。それでも原告花子は同じ行動を続けるので近所の人が見兼て同原告に注意をしてくれたこともあつたが逆に「この町内は泥棒を飼つておくのか、泥棒に味方するのか。」と食つてかかり、また近所の人が派出所に願い出て同原告に注意してくれるように頼んでもくれたが、効果はなく同原告の嫌がらせは激しくなるばかりであつた。

3  被告佳代は当時小学校の教員であつたところ、原告花子は同被告の勤務先の校長や教頭、同校育友会会長、更には京都市教委に「泥棒の母親を教師にしておくのか、辞めさせろ。」と執拗に架電し、新聞の切り抜きをコピーして学校の前でばら撒くと脅したり、また被告佳代が参加した教員研修会の会場にきてロビーにいる参加者をつかまえては新聞記事を見せ「この少年Aの母親は教師でこの会場に来ている。」旨吹聴して回つたのである。

被告一郎の勤務先会社にも原告花子は再三電話し、同被告の上司に「泥棒の親を雇うのか、辞めさせろ。」と言い、更に同社社長の自宅にまで架電して同様の所為を繰り返した。

被告次郎の在学していた高校に原告花子は行き、「ここの生徒が泥棒した、学校はどう考えているのだ。」旨申し向けてみたり、被告次郎の友人が家にくると「あんたらは泥棒の友達か、それなら泥棒の仲間やな。」と暴言をはくので以後友人らは被告次郎の家に寄りつかないようになつてしまつた。

4  このような原告花子の嫌がらせが事件以後延々と続き、現在に至るまで断続的に繰り返されてきた。

この間に、被告次郎の兄(結婚して別居独立している)宅に電話して怒鳴りつけたり、兄の妻の実家にまで電話して事件を暴露して困惑させたり、「泥棒が隣に居ると気持ちが悪い、お前の家で次郎を引き取れ。」と暴言を吐いてみたり、原告花子はまさに好き放題の嫌がらせを繰り返してきたのである。

昭和五八年六月には、原告花子は被告一郎が入院している病院にやつてきて、多勢のいる前で同被告に「あんたの息子は泥棒や、変態や、夜這いされたらかなん。」等叫んで罵倒し、また被告宅のトタン塀を「こんな塀があるから次郎が登つて侵入してくるのだ。」といつて原告厚子と二人で右トタン塀を無断で切り取つて壊し、同時に丹精こめて手入れしている植木も切つてしまつた。

また、同年一二月には人を使つて被告宅に架電させ「山田に弁償しろ、しなければ近所の電柱に事件のビラを貼つてやる。」と申し向けて脅すのであつた。

更に、最近においても被告宅前を通行する小学生らをつかまえて「ここの大学生は泥棒で屋根伝いにおばさんの所へ盗みに入りよつたんや。」と言いふらし、家に向つて「次郎君いるか、もう未成年やないのやから弁償しろ。」「次郎君いるか、泥棒いるか。」と叫ぶといつた行動を続けている。

そして、就職時期を迎える次郎に対し、「就職できんようにしたる。一生泥棒やと言いつづけたる。」と広言してはばからないのである。

5  被告らに加えられたかかる嫌がらせは明らかに許容される範囲を逸脱しており、被告らの名誉、人格を著しく傷つける不法行為である。

原告花子は本件の常軌を逸した嫌がらせを自ら積極的に行い、同太郎は妻である原告花子が、同厚子は母親である原告花子がかかる行動をくり返していることを承知しながらそれを追認してきたものであり、原告らは共同不法行為者として連帯して責を負うものである。

6  被告らが本件の嫌がらせのためうけた苦しみは甚しい。

被告次郎は自らの過ちに端を発したものとはいえ、当時まだ一七歳、高校三年生の少年で以後今日まで年若い同被告にとつて原告らがなした本件仕打ちがどれほど辛く苦しいものであつたかは言うまでもない。

被告一郎及び同佳代らも生活の場、職場を問わず執拗な嫌がらせをうけ、同被告らの名誉、信用は大きく傷つけられた。小学校教員であつた被告佳代がうけた苦痛ははかりしれないし、また被告一郎は入院先の病院まで嫌がらせに押しかけられたのである。その上無断で自宅の塀や植木を切りとられるといつた無法な仕打ちまでうけている。

被告らのうけた苦しみに対しては各々金一〇〇万円の慰藉料が相当である。

7  よつて、被告らは、原告らに対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、連帯して、それぞれ慰藉料一〇〇万円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日である昭和六〇年七月一七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

六  反訴請求原因に対する認否

1  反訴請求原因1の事実のうち、被告次郎が、昭和五五年六月二三日に本件強盗事件を起こして逮捕されたこと、同被告が、同月二五日釈放され、一方で、事件の新聞報道も同被告が未成年者であるので、名前が伏せられていたことは認め、その余は否認する。

2  同2ないし6の各事実は否認ないし争う。

第三  証拠関係<省略>

理由

第一本訴について

一被告一郎と同佳代は法律上の夫婦であり、同次郎は、両者間の子供であること。被告次郎が、昭和五五年六月二三日午前二時頃、原告宅に窃盗目的で侵入し、現行犯逮捕されたこと、その際、原告太郎の腕に噛み付いたこと、被告次郎は、当時一七歳であつたこと、被告らは同居していたこと、被告次郎が以前にも窃盗したこと、右事件後、被告一郎、同佳代は、数回原告方に謝罪に行くとともに、昭和五五年六月二三日、原告太郎の治療代として一万円、同月二八日原告厚子に対する弁償金一〇万円の被害弁償をした外、被告次郎が窃盗したのと同じウイスキー一本(原告太郎に対し)と参考書代五〇〇〇円(原告厚子に対し)を弁償したことは当事者間に争いがない。

二右当事者間に争いのない事実と、<証拠>を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  原告太郎と同花子は、法律上の夫婦であり、同厚子(西暦一九六三年八月二二日生)は、両者間の三女である。原告らは、京都市左京区<以下省略>に、原告太郎らの四女訴外山田幸子こと甲野幸子らと同居していた。被告らは、右原告方の西隣の同町<以下省略>に居住していた。

2  被告次郎(昭和三七年九月二二日生)は、本件強盗事件当時、高校三年生であり、従前非行歴はなかつた。同被告は、被告らの居宅と原告宅が、従前隣同士でありながら行き来が全くないため、隣家がどんな家か知りたいと思つていたが、そのうち一度忍び込んでみたいと考えるようになり、昭和五五年二月中旬頃、初めて原告宅へ忍び込んで、中の様子を見て帰つた。そして、同年三月初旬頃、更に忍び込み、その際、机の引出しから二万円入りの封筒を見つけ、それを盗む気になつて現金を抜いて持ち帰り、その後は、忍び込むスリルと現金や自分の使える物品を盗むつもりで、原告宅へ忍び込んで盗みを重ね、結局同年三月初旬頃から同年六月八日までの間に、一〇回にわたり原告宅から現金約六万一五〇〇円、物品一万三〇八〇円相当を窃取した。

3  一方、原告らは、その頃から、家の中の現金や物品がなくなることに気付き始めたが、当初は誰の仕業がわからず、家族内の者のことを疑つたりしたこともあつた。同年六月七日、原告厚子の友人が、原告方へ泊りに来た際、同人が翌早朝に泥棒の姿を見付け、後で同原告に、泥棒が入つて来たことと、犯人は小学五、六年生位の男子である旨告げた。原告厚子は、同月二三日午前二時頃、原告宅の自室四畳半で寝つかれずにいたところ、泥棒の照らす懐中電灯の明りを認めたので、同人が侵して来ると思い、前記友人から泥棒が小学生であると聞かされていたので、これを取り押えようと予め用意してあつた懐中電灯を持つて、同室のベッドに横たわつて待機した。

4  被告次郎は、同日も従前と同様に、懐中電灯を携帯して原告宅へ侵入し、他室を物色したのち、原告厚子の部屋へ侵入し、四んばいになつて同原告の方に近付いたところ、同原告から背中へ懐中電灯を投げ付けたられたうえ、「泥棒」と大声で叫ばれたため、同被告は、家人に気付かれないように、あわてて立ち上り、同原告に飛び掛り、大声を上げる同原告の口を、手の平で塞ぐなどし揉み合いとなつた。

5  その時、原告宅の一階で就寝していた原告太郎は、同厚子の叫び声を聞いて、同原告の部屋へ駆け付け、同原告と揉み合つていた被告次郎を、同原告から引き離し、隣室六畳間で、逃げようとする同被告と二人とも横になつて揉み合いとなり、同被告から左腕に噛み付かれるなどの抵抗を受けたが、間もなく馬乗りになつて同被告を押え込み、駆け付けた原告花子から、アイロンのコードを受け取り、同被告の足を縛り、同日午前二時二五分ころ、同被告を取り押えて逮捕し、その後駆け付けた警察官に同被告を引渡した。

6  原告太郎は、被告次郎に左腕を噛まれたことにより、全治約五日間を要する左前腕咬傷の傷害を受けたが、原告厚子はかすり傷程度で、特にこれといつた傷害は受けておらず、原告花子は被告次郎からは特に暴行を受けていない。原告らはこの事件にショックを受け、戸締りを厳重にし、防犯ベルを設置したが、精神的な動揺がしばらく続いた。

7  被告らは、本件強盗事件後、数回にわたつて原告方へ謝罪にいつたが、まず、昭和五五年六月二三日の夕方、被告一郎と同佳代が、原告太郎の治療代として一万円と菓子箱を持つて謝罪に行き、同月二五日、被告ら三名で謝罪にいつた。更に、被告一郎と同佳代は、同月二八日に、お詫び料の意味で一〇万円を持参し、同年七月二四日には、被告次郎が窃取したのと同一のウイスキー一本と、参考書の代金として五〇〇〇円を持参した。しかし、その後は、原告花子から高額の弁償を請求されたことや、同原告の被告らに対する嫌がらせから、感情的対立が生じ、被害弁償の話は立ち消えになつてしまつた。

以上の事実を認めることができ、<証拠>中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしにわかに措信しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三原告らの慰藉料請求について

1  右認定の各事実によれば、原告厚子は、本件強盗事件当時高校二年生であつたが、被告次郎によつて不法に自室に侵入されて飛び掛られて口を塞がれるなどの暴行を受けたのであり、幸い原告太郎が直ちに駆け付けたため大事に至らなかつたとはいえ、原告厚子が受けた精神的打撃は大きいというべきである。又、原告太郎は、被告次郎と揉み合つている原告厚子を助けるため、同被告を引き離し、揉み合い、結局同被告を取り押えたのであるが、その間、同被告の抵抗を受けて傷害を受けるなど、原告太郎の受けた精神的、肉体的苦痛には軽からざるものがある。これらの事情に、被告らから前記のように謝罪がなされ、一部被害の弁償もされていることも考慮すると、右原告両名の苦痛を慰藉するためには、原告太郎において金二〇万円、原告厚子において金三〇万円の慰藉料をもつて相当であると思料する。なお、被告らは、原告花子による嫌がらせによつて、被告らが精神的苦痛を受けたことも、原告らの慰藉料算定の際、考慮すべき旨主張するが、後記のとおり、右原告花子による嫌がらせについて、原告厚子及び同太郎には責任がないというべきであるから、右原告両名の慰藉料を認定する際には、右の点を考慮すべきとはいえない。

2  原告花子は、被告次郎から暴行を受け、又長期にわたり家の金品が紛失したことにつき娘を疑つたりしたことにより、一家の主婦として、精神的打撃を受けた旨主張するが、同原告が被告次郎から暴行を受けたことを認めることはできないことは前記認定のとおりであり、又、財物の窃取行為のような財産的侵害の場合には一般的に、財産的損害の賠償によつて精神的苦痛も同時に慰藉されると考えるのが相当であり、同原告が主張するような家庭内部の者の犯行を疑つたことにより蒙つた精神的苦痛は、右窃取行為という不法行為とは相当因果関係はないというべきであるから、その点の主張も採用できない。よつて、原告花子の慰藉料請求は理由がない。

四原告太郎の物的損害について

1  <証拠>によれば、被告次郎は、本件強盗事件の際、原告宅の六畳間において、逃走しようとしてテーブルにぶつかり、同テーブルはつなぎ合わせているところが外れて、半分に割れる損傷を受けたことを推認できる。<反証排斥略>。しかしながら、右テーブルの損害額については、本件全証拠によるもこれを認めるに足りず、この点で、同原告の主張は採用できない。

2  <証拠>によれば、本件強盗事件の当時、右六畳間にステレオセットが置かれていたことが認められるところ、<証拠>によれば、本件強盗事件後、ステレオセットの一部が壊れていたこと、それは結局修理はしていないことが認められる。そして、<証拠>中には、右ステレオの損傷は、被告次郎によつて受けたものである旨の供述部分があるが、被告次郎が、本件強盗事件の際、右ステレオにぶつかつたことを認めるに足りる証拠がないうえ、<証拠>によれば、右ステレオは、前記六畳間に、本件強盗事件の二、三年前に移したが、日常は使つていなかつたことが認められ、右ステレオが、本件強盗事件の際に故障したかどうかについても疑問があり、右供述部分はにわかに採用できない。他に、右ステレオセットが、本件強盗事件の際、被告次郎によつて損傷されたことを認めるに足りる証拠はない。また、仮に、右ステレオが、被告次郎によつて損傷されたとしても、その損害額については、本件全証拠によるもこれを認めるに足りず、この点においても同原告の主張は採用できない。

3  原告太郎は、別紙一覧表記載のとおり、右テーブル、ステレオセツト以外にも多数の物品が被告次郎によつて損傷された旨主張し、<証拠>中には、右主張に副う部分がある。しかしながら、<証拠>によれば、警察官が、本件強盗事件の直後の昭和五五年六月二三日午前三時から同日午前四時三〇分まで原告宅を実況見分した際、立会人であつた原告太郎は、警察官に、テーブル等が壊れている旨説明したが、それ以上詳しい説明はしていないこと、右実況見分調書には、壊れたテーブルについては記載があるが、それ以外の物品が毀損しているかどうかについては何ら触れられていないことが認められ、また被告次郎本人尋問の結果によれば、同被告は本件強盗事件で原告太郎に逮捕される際抵抗したが、特に激しい抵抗をしたわけではなく、その際、テーブルにはぶつかつたが、他の物品にぶつかつたことはなく、また物品が壊れたことは見ていないことが認められる。更に、被告佳代本人尋問の結果によれば、同被告らが、原告方に謝罪にいつた際には、物的損害としては、コードが切れたこと以外には聞いていないことが認められる。そして、右物品の損傷については、右供述以外、これを裏付ける証拠は何ら認められない点も併せ考慮すると、右供述はにわかに措信しがたく、他に右原告の主張事実を認めるに足りる証拠はない。

4  以上により、原告太郎の物的損害の賠償請求は理由がない。

五被告一郎及び同佳代に対する請求について

1  前記認定事実によれば、被告次郎は、本件強盗事件当時、満一七歳の高校生であつたから、特段の事情の認められない本件においては、同被告が、行為の責任を弁識する能力を有していたことは明らかである。従つて、被告一郎及び同佳代は、民法七一四条の責任は負わない。

2  <証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 被告次郎は、会社員である被告一郎と小学校教員である被告佳代の二男であり、被告らは原告宅の隣宅で同居していた(被告らが同居していたことは当事者間に争いがない。)。

(二) 被告次郎は、本件強盗事件当時高校三年生であり、大学進学に向けて毎晩遅くまで勉強していたが、夜中に散歩に出た時に、前記のように好奇心で原告宅へ忍び込んだのが本件事件の最初であり、盗みのスリルが忘れられず窃盗行為を繰り返すようになつたが、小遣いは毎月十分もらつていた。被告次郎の部屋は二階で、被告佳代及び同一郎は階下で寝ていたが、深夜被告方の玄関から出て原告宅へ忍び込んでいたことについては、被告佳代らは全く気が付かなかつた。

(三) 被告次郎に対し、被告佳代は教育熱心であり、被告一郎は生活態度にうるさかつたが、口やかましい方ではなく、被告次郎の部屋へも時々は入つていたようだが、同被告を信じ、その行動を特に注意することはなかつた。

(四) 被告次郎は、高校一年生の夏頃、ビールを飲んだことが切つ掛けで以後時々ビールを飲むようになり、原告方へ盗みに出かける時もビールを飲んでは出かけていたが、外には問題行動はなく、補導されたことも学校の処分を受けたこともなかつた。

以上の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  ところで、未成年者が、責任能力を有する場合であつても、監督義務者の義務違反と当該未成年者の不法行為によつて生じた結果との間に相当因果関係を認めうるときは、監督義務者につき民法七〇九条に基づく不法行為が成立すると解せられるので、右監督義務違反の有無について検討するに、右認定事実によれば、被告佳代及び同一郎は、被告次郎の日常的な行動について口やかましく指導することは余りなく、被告次郎を信じて、主にその判断に委せていたことが窺われ、そのため、同被告は、深夜出掛けていつたり、時々飲酒をしたりしていたが、全く放任していたとまでは認められず、全体に同被告に対する監督は甘かつたとはいえるとしても、同被告は、当時高校三年生であり、又従前の生活態度(補導歴、学校の処分歴のないこと等)に照らせば、保護者として、監督義務を怠つていたとまではいえない。なお、仮に、被告次郎が深夜外出することないし飲酒することが問題になりうるとしても、それと本件窃盗行為ないし強盗行為発生との間に相当因果関係があると直ちに認めることもできない。

4  よつて、原告らの被告一郎及び同佳代に対する請求は、いずれも理由がない。

第二反訴について

一被告次郎が、昭和五五年六月二三日に、本件強盗事件を起こして逮捕されたことは前記認定のとおりであり、同被告が、同月二五日釈放されたこと、右事件の新聞報道は、同被告が未成年者であるので名前が伏せられていたことは当事者間に争いがない。

二<証拠>を総合すれば次の事実を認めることができる。

1  本件強盗事件の新聞記事は、昭和五五年六月二四日に報道されたが、原告花子は、右事件直後の同年六月末頃から夏休み過ぎ頃まで、被告ら宅の近隣者、更には単なる通行人を捕まえては誰かれとなく右事件が報道されている新聞を示して、「この少年Aとは、ここの家の息子で次郎というんや。」と言い回り、また、被告佳代が勤め先から帰つて来ると、路上で、通行人がいるのに、「泥棒のお母さんお帰り」と言つて回つたり、被告一郎に対しても同様の言葉を投げかけた。

そのため、被告次郎の事件は、近隣に知れわたり、被告らは、周囲の目を気にせざるを得なくなつた。その後も原告花子の同様の行動が続いたので、近所の人が、同原告に注意したこともあつたが、逆に、「この町内は泥棒を飼つておくのか。泥棒に味方をするのか。」と食つてかかり、また近所の人が、警察の人に注意してくれるように頼んでくれたが、効果はなかつた。

2  被告佳代は、当時小学校の教員であつたところ、原告花子は、同被告の勤務先の校長、教頭、同校育友会会長、京都市教育委員会に電話をし、事件のことを吹聴し、泥棒の母親など首にしろと言つて回つた。また、同原告は、同年六月二七日、育友会幹部の研修会へ出向いて来て、同会が終わつた時、右役員に事件の様子を言い回つた。更に、同原告は、小学校に直接出向いて行き、校長に、三〇〇万円弁償するようにさせろといつたり、本件強盗事件の報道されている新聞の切り抜きを持参して、「三〇〇万円弁償させなければ校門のところにコピーしたものをばらまく。」といつたので、校長がそれはやめるように頼んだこともあつた。

3  原告花子は、被告一郎の勤務先にも電話をし、同被告の上司に「泥棒の親を雇つておくのか。会社のイメージダウンになるから辞めさせろ。」「退職金から三〇〇万円出してもらえないか。」などと電話で話をした。

また、同年九月一五日には、被告方へ夜中電話をかけ、被告佳代に、「家の外で音がする。お前の息子ではないか。今息子が家にいるかどうか。家にいるなら電話口へ出せ。」と申し向け、電話を替わつた被告次郎に対し、「お前がそこにいるからゆつくり生活もできないから出て行け。」といつたりした。更に、同年一〇月七日から被告ら宅へ、被告次郎の友人らが遊びに来た際、同人らに原告花子が「お前らは泥棒の友達だからお前らも泥棒や。」と言つたことから、友人が「文句があるのなら、学校へ言いにこい。」というと、同原告は、被告次郎の在学している高校へやつててきて、校長に対し、「乙野次郎を退学処分にせよ。泥棒をしたから弁償させろ。」と申し向けたりした。

そして、その後も、原告側の出入口付近の通行を妨害したり、被告佳代らが出勤する際に、被告宅の玄関先で、「弁償せよ」とか大声で怒鳴ることもあつた。これに加え、原告花子は、右行為の外、被告次郎の兄の家へ「隣に泥棒が住んでいると気色悪いので引き取つてくれ。」と電話をしたり、その兄嫁の実家の方へ出向いていつて、同様のことを話したりした。

4  被告らは、原告らに対し、前記のとおり、被害弁償のため原告方を訪れたが、その際、直接に賠償金を請求されたことはなかつた。被告らとしては、前記のような弁償で、すべて完了したとは思つていなかつたが、特にそれ以上積極的に交渉はしなかつた。そして、被告佳代らは、原告花子が、小学校の校長を通じて三〇〇万円の賠償を要求していることを知つたが、その額が常識的な範囲の金額とは考えられなかつたので、それについては放置し、返事をしなかつた。その後は、原告花子の嫌がらせから、とても交渉する気になれず、昭和五五年九月頃、間に入つて交渉してくれた人がいたが、同様の請求を受けたので、それをことわり、結局話し合いができないまま、昭和五八年六月二〇日原告らは、損害賠償の調停の申立をなすに至つた。

5  右調停までに、被告らの居宅の入口のうち、原告宅側の開き戸による通行について、種々妨害を受けていたが、昭和五八年六月下旬、原告花子から、「塀があるので次郎がこの塀から入つて来てうつとうしい、取り外せ。」との申入れを受け、被告佳代が困ると断わると、同原告は、病気で入院している被告一郎を病院に訪ね、病室で、他の患者がいるのに、「この人の息子は盗人だ。痴漢だ。」などといつた挙句、塀を壊すように申し向け、同被告が、早く帰つてもらおうと、「気の済むように。」と申し向けるや、帰宅して早速、トタン塀を壊してしまつた。また、道路から被告らの居宅に向つて、「次郎君いるか。もう未成年者でないから弁償してくるれか。」と大声でいつたり、「ここの家の子は泥棒や。」などと小学生に言つたこともあつた。更に、その後も「就職の邪魔をする。一生泥棒といつて付きまとつてやる。」と被告宅へ向つて怒鳴つたこともある。

以上の事実を認めることができ、<証拠>中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしにわかに措信しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三原告花子に対する請求について

1 一般に、他人の犯罪行為を公表することは、当該犯罪者の名誉、信用を著しく低下させるから、仮にそれが真実であるとしても、その公表には自ずから制約があるというべきであり、その公表行為が許容されるのは、公表の目的、必要性、手段方法等に照らし、社会的に相当と認められる場合に限られるというべきである。特に本件犯罪行為が、少年の犯罪であることも考慮すべきである。また、被害の弁償を請求する際にも、その手段方法は社会的に許容される範囲に限られるべきであるのは当然である。

2 ところで、前記認定事実によれば、原告花子は、被告らに対する報復ないし嫌悪感から、近隣者や通行人に、本件次郎の犯行を公表し、又同様の目的ないし同原告の要求する被害弁償をさせる目的で、被告次郎の学校関係者や、被告佳代及び同一郎の勤務先の人々に、右犯行を公表し、退職ないし退学を要求したり、被害弁償をさせるように要求し、その他直接ないし間接に、出て行くことを要求するなどの嫌がらせを繰り返してきたものと認められ、その目的において必ずしも正当な目的に基づくものとはいえず、また、被害弁償について交渉しようとする目的があつたとしても、まず、被告らとの間で直接ないし代理人を通して交渉するのでなく、いきなり被告らの関係者に右犯行を公表し、自己の望む賠償額を弁償させるように要求するのは、方法において相当とはいえず、その他被告らに加えられた種々の嫌がらせは執拗であつて、社会的に許容されたものとは解されないのであり、原告花子の右一連の行為は違法というべきである。

3 そして、前記認定事実によれば、原告花子の行為は、被告ら各自に対する関係で違法行為になると解するのが相当であり、同原告は、被告らが蒙つた損害を賠償する責任があるところ、前記認定の原告花子の公表内容、公表方法、その目的、その時期、その内容の真実性、本件犯罪行為は少年の犯罪であつて、新聞報道においても名前が伏せられていたこと、前記のように、原告らは、隣人から盗みに入られ、又本件強盗事件を惹起されたことに大きな衝撃を受け、その後しばらくは、精神的にも不安定な日々が続いていたことが窺われること、原被告間の賠償交渉の経過、被告らにおいてなした被害弁償の程度、その他諸般の事情を考慮すると、被告らの精神的苦痛を慰藉するための慰藉料としては、各自金一〇万円をもつて補うのが相当である。

四原告太郎及び同厚子に対する請求について

1  原告太郎及び同厚子が、原告花子と同居の親族であることは前記認定のとおりであるが、原告花子の右違法行為について、原告太郎及び同厚子が加担したことを認めるに足りる証拠はないので、共同不法行為者として責任を負うとはいえない。

2  よつて、原告太郎及び同厚子に対する請求は理由がない。

第三結論

以上のとおり、原告らの本訴請求は、被告次郎に対し、原告太郎において金二〇万円、原告厚子において金三〇万円の慰藉料及びこれに対する本訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五九年三月二七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、被告らの反訴請求は、原告花子に対し、被告ら各自が、慰藉料各金一〇万円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和六〇年七月一七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条、九三条を適用し、なお仮執行の宣言の申立については相当でないからこれを却下し、主文のとおり判決する。

(裁判官彦坂孝孔)

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